オヤジの娘たちはすべて娘である

ローゼンといえば「ローゼン」。あの、乙女達のオヤジです。
あのオヤジ、「デカルト」とか「サンジェルマン」とか「カリオストロ」と
幾度も名前を変えて生きているというのは、知ってる人は知ってますよね。


サンジェルマンとカリオストロが両方生きてる時代があるとか
デカルトからサンジェルマン迄やたら空いてるとか
色々と頭を悩ませてくれる設定でもあるわけですが……


デカルトは、娘を亡くし、その娘の代わりともいうべき人形を
ずっとカバンに入れてあちこち旅していたという逸話があります。
娘の名前はフランシーヌ、5歳という幼さでした。



コレ、どっかで見たような話ですね。
カバンに入った人形があちこち旅する……
まんま薔薇乙女です。


まあ、「オヤジの方が旅させている」
「あちこちというのが時間のベクトルも入った概念になっている」
という大きな違いがあるにせよ、ですけど……


そして「娘の代わりともいうべき人形」という文
「人形が娘」なんですね。デカルトも人形を娘に見立てて
可愛がっていた……ここまではよくある話。1体だけなら、ですが。


なぜ 7体も 作ったのか。
しかも、見た目も性格もテンデバラバラの……
さまざまな見解がありますが、自分はこう考えています……


娘の将来を色々な方向で想像し
7通りに具現化した。


1体作り2体作り……試行錯誤のなかで、
娘に近づけていこうとしていたのでしょう。


銀は大人びた姿を想像したのかもしれません。(性格はとりたてて付けずに)
しかし、心は宿れど何らかの理由で未完成に終わってしまい
寂しさがあふれ出し、あの性格になったのでしょうか。
アニメではそのあたりに別な方向から突っ込んでいましたが……


カナは頭脳明晰・元気溌剌な娘の姿でしょうか?
双子は誰かと助け合い力を発揮する、
真紅には何かを求め続けるという高貴な、
ヒナには、清純で伸びしろある娘の姿を重ねたのでしょうか。


最後のきらきーで、娘と「同じ」霊体と。
それでも、あの娘……アリスではない。
そして――絶望した、というところに行き着きます。


結局はどれもが娘です。しかし、娘は1人。
7つを1つにするには、1/7を7集め1にするしかないわけで。
ここに何か介入して、あの悲劇のゲームが起きてしまったのでしょう。


何かを知っているのは、作中に2人だけ。
他ならないオヤジと、すべてを知るラプラスの魔
これは、物語の大きなカギとしてこれから明らかになっていくことでしょう。


ばらしーがらみの考察は次回いきます。
それではまた。